西野カナは言葉攻め

ストレス耐性に定評があります。

「残業代は出る」ブラック企業をやめてニートになりました

とりあえず会社をやめてニートになり、暇になったのでブログをはじめました。
どうぞお手柔らか目にお願い致します。

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自己紹介

はじめまして。ditkrtといいます。 ちょっとシャイだけど変拍子で踊れちゃう、25歳男性です。

出身は静岡。大学進学を機に関東に移り住み、現在は都内のアパートで妹と二人暮らしをしています。何の興味もない自動車関係のブラック企業で働いていましたが、つい最近無職になりました。

趣味は音楽です。中学生の頃、ギターの音ゲーをひたすらやりまくっていた僕を見て、心配した父が近所のリサイクルショップのエレキギターを買い与えてくれて以来、ずっと続けている趣味です。大学の時に在籍していた音楽サークルで、ビッグバンドジャズ、コンボジャズ、フリーインプロ、ロック、とかのジャンルの音楽を、広く浅く、やりました。 今は大学時代の先輩や友人達とバンドをしたり、家では楽器片手に宅録したりと、趣味を楽しんでいます。

早く次の仕事見つけないとやばいですが、どうぞよろしくお願いいたします。

会社を辞めた理由

僕は工業系4年制大学を卒業後、自動車部品関連のメーカーに入社しました。しかし入社してみると、なにやら様子がおかしい。

給与、労働時間、社風など 常識では考えられない事実が次々に明るみになる…!

そう、そこはまごうことなき「ブラック企業」でした。

今月で入社2年3ヶ月。これまで耐え抜いてきましたが、働いてゆく中で、ここで得るものは本当にもう何も無いと悟り、ついに先日会社をやめました。

本日は再就職先が決まらず暇なので、僕の元勤務先のちょっと様子がおかしい話を紹介しようと思います。

20歳年上の先輩社員(妻子持ち)も給料同じ

入社当初、ちょっとふくよかで寡黙なA先輩(40代男性・妻子持ち)が教育係としてお世話をしてくれました。A先輩は入社7年程の中堅。教育は先輩の実務を手伝うOJTの形式で行われました。

当然ながら当初は作業スピードが遅かったため、先輩が帰ったあとも与えられた仕事を続ける事が多く、必然的に残業量は先輩よりも多い状態となっていました。大変だと感じながらも「小さな会社で社員数も少ないし先輩方は大変そうだ。早く新人である僕が一人前にならなくては!」と、日々の作業をこなし続けました。

仕事に多少慣れ始めたころ、休憩時間に同期N君と給与の話題で雑談していました。他と比べて給与が低いことなど、愚痴めいた話で盛り上がっていたところ、A先輩の話題になりました。

N君「君の部署のA先輩は今月の給料●●万しか入らなかったから生活厳しいって言っていたよ。そっちも大変だね。」

自分「・・・・? 」

今月のA先輩の給料、僕の給料とほとんど変わらない額です。なんなら僕のほうが数千円くらい上です。もう一度書きますがA先輩はこの会社に勤めて7年程の中堅。妻子持ちです。それなのに月給は新卒1年目の僕とほぼ同じ額。

そう、先輩の基本給は、入社当初からほぼ上がっていませんでした。あとで調べてみると他の社員の方も同じ状況でした。入社1年目の僕でも、ちょっと先輩よりも多く残業しようもんなら、給料は彼らを上回ってしまうのです。

残業が出る分、ホワイト企業だと思っていた僕の首筋に、ひんやりと冷たい汗が流れました。

恐怖の残業タワー

この会社のタイムカード打刻機の傍には「残業タワー」なる塔が聳(そび)え立っています。社員一人一人の前月の残業時間をエクセルで棒グラフ化し張り出される紙、人々はその棒グラフを「塔」に見立て、そのように呼称します。

タワーには
* 現場のベテラン先輩 250時間
* 現場の中堅先輩 200時間
* 設計部門の先輩B 200時間
* 設計部門のリーダー 150時間

などの上位ランクの強者達が名を連ねています。どの方もたくさん残業していらっしゃいます。

年収例:入社7年・部署リーダー30代 月給40万円 

ここで話が変わりますが、これは会社の求人が謳っている年収例です。一見それなりに貰っているように見えます。

ただ、これを維持するにはめちゃくちゃ働き続ける必要があります。 この給与例、40万の半分以上は残業代です。

この「月給40万」を維持するためには、タワーの上位ランカー級の残業を毎月続けなくてはなりません。残業が少ない時期には、逆に給料はその半分程度になり、生活してゆく上で危機的状況になります。(ちなみにボーナスは無いに等しいです)

僕の直属の先輩の給料の話でわかると思いますが、この会社は昇給は無いに等しいので、どんなベテランでもこの状況は同じです。

皆さんこれだけ働いて、律儀に残業代も全部出るなんて、うちの会社、実は結構儲かっているんだろうな。初めはそう思いましたが、まったくそんなことはありません。
どういうからくりで会社が回っているのか全く分かりませんが、毎月配布される収支実績を見ると、ほとんどの仕事は、利益が6~7万程度(大体工期は一か月程度)。あれだけ残業し、しかも競合他社より短納期でやっているのに、大体の物件は全く儲かっていません。

「残業タワー」を初めて見た新人の僕は、一生給料が上がらず 長時間労働をし続けなければならないという未来が頭をよぎり、呆然と立ち尽くしました。そう、この会社の人々は懸命に「塔」を積立、その「塔」の高さの前に、途方に暮れるしかなかったのです。

「設計」とは言い難い仕事内容

実際の僕の仕事内容はどのようなものか、気になるかと思いますので書きます。
初めのほうにも書きましたが、僕は「設計」としてこの会社に入社しました。しかし実際僕はそこで、「購買」の仕事を任されていました。
この会社では、様々な客先と取引していますが、とある大手自動車メーカーの物件が最も多く、それ関係の「購買」の業務を僕一人で全部やらせられていました。

この作業、図面を書いて外注メーカーに発注をかけたり、相見積もりをしたり、発注するための稟議を申請したりするのですが、1つ1つの内容はさほど難しものではありません。しかしながら物量が半端じゃありません。作っている製品は、多いもので構成部品100種類を超え、それが何物件も同時並行で動いています。これらの発注作業をなぜか僕一人だけでやっているため、単純に物凄い負荷がかかります。 忙しいときはほぼ毎日終電、特にきついときは週に2回漫画喫茶泊でした。

僕は「設計として入ったのになぜこんな単純作業をひたすらにやっているんだ…」
と思いながら、何とか状況が改善するよう、時短に努めたり、上に相談したりしましたが、全く状況は良くならず。
人員補充などもなく、他の社員への作業の分散も全く協力してもらえなかったため、ただひたすらこの作業を続けるほかはない。
上司は、「今は人も少なくて忙しいから申し訳ないけど頑張ってほしい、設計はいつか必ずいけるようにするから。」と言いましたが、結局、全く状況が変わらぬまま、辞めるまでの2年弱この単純作業以外の仕事は一切やらせてもらえませんでした。

当時の僕は、「自分は正社員ではなくて、実はちょっと割の悪いアルバイトとかなのではないか」と何度か錯覚しかけました。

営業職の同期がクレーンで怪我をしたけど労災下りない

僕にはN君という営業職の同期が1人います。N君は「営業」という部署にいるものの日々の業務は客先営業がメインではなく、別の工場に物資を運ぶ作業がほとんどを占めています。(それもちょっと様子がおかしいのですがここではおいておきます)

あるとき、N君が物資運搬用クレーン操作ミスで、フックの部分が顔面にぶつかり前歯が欠けてしまいました。物資の吊上げ荷重はほとんど1t未満でしたので、クレーン操作のための特別な教育を受けている者でなければ動かすことはできません。しかし詳しく彼に事情を聴くと、どうやら十分な教育も受けずに操作させられているようでした。

けがをした際にN君の上司は彼を心配するどころか叱るだけ。そして労災保険は一切下りませんでした。N君は労災が下りなかったことに関して、なぜか上司に強く主張はせず、歯が欠けた状態のまま現在も日々を過ごしています。

この工場では、重さ1tまではいかないものの500kg級の金属の塊を運ぶことは日常茶飯事です。彼がいつこれらの物資に押しつぶされないか心配でなりません。

当時の僕はこの事実に戦慄し、「この工場で生きてゆくためには、誤操作したクレーン程度のものは、避けられないようじゃダメなのかもしれない…!」と自分に無理やり言い聞かせました。

なぜか飲み会で罵倒され続ける営業の同期

月に一度、通称「飲みニケーション」という、一定のメンバーが集まる飲み会(強制参加)が開かれます。
この会は、社長・営業部全員・各部署のリーダーが集まり、部署間で情報交換やリーダー同氏の交流を深める名目で開かれます(強制参加)。

しかしなぜか毎回必ず、N君を囲んでめちゃくちゃ説教する会になります。

飲み会が始まり少し経つと、まずN君がその日に起こしたミスについて激しく罵倒し始めます。それに対しN君が改善策を提示しても「それを守れるという保障がお前のどこにあるんだ、言ってみろ」という身も蓋もないことを言われ、どうしようもなくなっているところで畳みかけるようにさらなる罵倒が降り注ぐ。基本的にお開きになるまでこの無限ループから逃れられないというのです。
(この間、社長はご高説に預かったり、ほかの先輩は説教に加勢したりします。)

僕も一度だけ、これと同様の面子の飲み会に同席したことがあるのですが、そのときも同様の流れになりました。このときはN君が泣くまで追い詰められ、とてもお酒を飲んだりご飯を食べたりするような雰囲気ではなかったのを覚えています。

1人の人間が無意味にめちゃくちゃ怒られつづける。しかもそれを全員が、終電まで強制的に見させられ続ける会。

ここは生き地獄なのかと思いました。

その後も毎月「飲みニケーション」続いたそうですが、N君はその経験と鍛錬の結果、罵倒の波状攻撃を受け止めることができる強靭なストレス耐性を身に着けたそうです。

直近入社の離職率ほぼ100%

僕の体感ですが、ここ最近の「入社して3年以内の離職率」が100パーセントに近いです。

僕が在籍していた2年3か月の間に入社した人は、2人を除いて全員既に退職しているか、あるいは既に退職届を提出済み。驚きの離職率です。

このように、あまりにも人員の回転が速いため、作業の負担は一向に減りません。さらに先輩方はその忙しさを理由に、新人に教育することをあきらめています。そのため新入社員が入ってきても全く教育せずに放置されることが多く、それがまた早期の離職に拍車をかけています。

あまりにも環境がヤバ過ぎて、かなりトリッキーな辞め方をされた方も数多くいたらしく、その方々は「すごい辞め方をした人」として影でレジェンド的な認定をされています。

最後に

いかがでしたでしょうか。会社の出来事を思い返してみると、いろんな意味で面白い経験が出来た所だったなあと思います。ちなみにもうこんなところには二度と行きたくないです。

ここで上げたエピソードのほかにも、まだまだおかしい事案はたくさんあったのですが書ききれませんでした。また機会があれば放出したいと思います。

このブログを見て「うちの会社ブラックだと思っていたけれど、コイツの会社より全然マシだわ」みたいな感じに思っていただけたら幸いです。ありがとうございました。

この記事はすべてフィクションです。ええ、フィクションですとも。